暮らし

3年ぶりの更新記念。暮らしの変化ダイジェスト版

お久しぶりです。最後の更新は2017年6月だったので、丸3年沈黙していました。

ブログを再開した経緯は「このブログについて」で触れた通りですが、いまの暮らしを前提に書くことになるので、一度ざっくりお伝えしておきたいと思います。

赤ん坊だった双子が3歳の「おねえさん」になって魔女の宅急便ごっこするくらいに、いろいろ変化がありました。

7ヶ月間、育児休暇を取得した夫

双子育児というと「たいへんね〜」と声をかけられがちです。

もちろん大変ですが(笑)、育児ってみんなそれぞれ大変だろうにと感じたりもします。ただ、双子の場合は物理的に厳しい瞬間があるので、ある意味カッコつけずに人に頼れるという側面はあります。おかげで、双子だからしんどい、苦しいと思ったことはほとんどなく過ごしてきました。

そして何より、夫が産後2ヶ月から7ヶ月の育児休暇を取得したことも大きかったです。新米のママ・パパで双子とじっくり向き合う、最高に贅沢な時間を得られたと思います。

母乳の出が悪く3ヶ月目に完全ミルクに切り替えたため、「ママじゃなきゃ出来ないこと」はなくなり、パパもママも育児スキルは同等。小さく生まれた双子の予防接種も一緒に来てもらえるし、大抵大人が2人いるので「一人放置」も基本的には起きません。

老健に入所していた父が2017年5月末に倒れて総合病院へ入院し、手術、転院…と非常に不安定な時期と重なっていたこともあり、育児を任せられるパートナーの存在に、心身ともに助けられました。

7ヶ月間、大黒柱が育児休暇を取得し、フリーランスの妻は何の収入もない状況。正直経済的には厳しいところもありましたが、夫も新たに資格を取得したりと有益な時間を過ごせたと思います。

実家近くへの転居、そして実母同居スタート

娘たちが8ヶ月の頃、夫の実家近くへ転居しました。2LDKの集合住宅から4LDKの戸建賃貸です。

以前の家だと義両親が車で来るのに片道80~90分かかっていました。滅多に会わないならまだしも、毎週、隔週ペースで顔を合わせるのに行き来する時間が負担で、いざという時にも思うように動けないと感じていたのです。

しかも産後しばらくの間、仕事の都合をつけて手伝いに来てくれていた母(実母)との間でも「一緒に住めるような家があれば、同居もありかな〜」という話が。夫の育休が終わる頃には同居できたらなんと心強いことか…!ということで、それを前提に探しました(笑)。

母は猫を飼っているので、ペット可物件必須。実家にも近く、母と猫も同居可能なスペースがある家…ということで見つかったのが現在の住処です。

実家との間は車でも電車でも30分程度で行き来でき、小さい子どもが走り回っても気にならない戸建は最高です。

庭があるし、緑も豊か。朝は鶯の鳴き声が響くのどかな場所です。

仕事再開

2016年の12月で一度仕事の方は整理していたので、産後はとりあえず母業に専念しました。でも、引っ越して夫が仕事を再開した頃に「自分も育児以外のことがしたいな…」という気持ちがふつふつと。

そんなときに、正社員時代の取引先の方から声をかけていただき、再び仕事を始めることになりました。

妊娠中も在宅ワークでしたが、違ったのは乳児の存在。日中に会議等で相手との時間を合わせる仕事はお引き受けできません。そうした私の状況を汲んで、依頼されたのは、ライティングがメインでした。

チャットでやり取りをして、子供が寝ている時間に仕事をする。リアルタイムに捕まらないこともありますが、基本的にレスポンスは遅くない方だと思います。

夜中に仕事を進めた私から早朝に確認事項等が返ってくるのも「時差みたいなものかな」と受け取っていただけるのはありがたかったです。

おかげさまで、それからずっと仕事は続けています。

自分なりに社会人として誠意ある対応に徹するよう心がけていますが、家庭の事情を理解してくださる取引先に恵まれ、感謝しかありません。

父が亡くなる

正社員時代に介護を引き受け東京に連れてきた父は、2018年の夏に亡くなりました。

入所していた介護施設に生後2ヶ月の娘たちを連れて行ったときに「いい名前だな」と抱いてくれたのがきちんと触れ合えた最後の記憶です。予防接種やら何やらで余裕がなく、翌月に会いに行こうとした前日に倒れ、そのまま意識がしっかり戻ることはありませんでした。

手術後、山梨県にある長期入院可能なリハビリ病院に転院しましたが、最後は近くの病院に連れてきて看取りました。「少しでも声に反応しないか」と期待しながら、毎週、多いときには週に3回ほど車で山梨に通った日々。生後半年の娘がいるのに、そんなことができたのは夫や義両親のおかげです。

一番忘れられないのは、手術をしてほんの少し改善したように思えたある日のこと。

いつものように見舞い帰ろうとしたときです。父は私の手を握り返し「まだそばにいてほしい」と言ったのです。その後、帰宅する車の中では涙が溢れて仕方ありませんでした。文章を話してくれたのは、それが最後だったのではないでしょうか。

そんなこともあって、思い返すとリハビリでは父に遠方でがんばる日々を強いてしまい、申し訳なかったという気持ちになります。

父のことはまた改めて書きますね。

一時保育は成長を感じるきっかけに

仕事は育児や日常生活に無理のないペースで。

とのんびり働いていた私ですが、「娘たちが幼稚園に入園したら日中は仕事ができるなあ。もう少しいろんなことをやってみたいな」とぼんやり考えるようになっていました。

そして2019年夏、半年間限定の某プロジェクトマネジメントの仕事を受けたのをきっかけに、自分にギアを入れるため「一時保育」を利用し始めました。

これが大正解。

双子はお互いが友達みたいなもの。閉じた世界で十分遊べてしまうので、お友達もいないまま家で生活していました。でも保育園に行けば、家にない遊びやお友達と触れ合う機会に恵まれます。

詳しくは改めて記事にしますが、娘たちにとっても大きな成長のきっかけになったように感じています。

その後、実は年少での幼稚園入園はできなくなってしまい(抽選落ち…)、デビューは年中からとなってしまいました。

今年は一時保育と幼稚園のプレクラスを併用し、入園するのをじっと待つことに。娘の社会デビューとともに「ワーク」の割合を増やそうともくろみ、背伸び気味ではたらく日々です。

駆け足でここ3年の変化のダイジェストをお伝えしてきました。いろいろありますが、何より娘たちの成長ぶりが愛おしい限り…(親バカ)

仕事のこと、育児のこと、趣味のこと…。ポツポツと語っていきますので、よろしければ引き続きお付き合いください。

ちょこ